鬼喰
- たまはみ -
第一話 邂逅
第一章 二
「春も秋も、彼岸がもうちっと遅いといいんじゃがの」
「ほうじゃな。春は桜の頃だとなおええのう」
「桜に頼んでみたらどうかのう。咲いてくれんかのう」
「頼んだところで結果は知れとるわい」
「花の咲く頃合は神様の領分じゃあ。わしらごときにはなあんもできんて」
「何を言う。わしらも仏様じゃ」
「そりゃそうじゃったわな」
だあっはっはっはっは。
「ほんなら、ちょっと頼んでみるか」
「ダメでもともと、じゃ。言ってみ、言ってみ」
そして言ってみるものだ、と浮かれながら桜の下で花見をしていた。手拍子に、下手くそな長唄。実体などないのに回らないろれつ。すっかりできあがった様子。どれだけ騒ごうが奇声をあげようが、誰に注意されることもない。お化けには何もないという某アニメの主題歌は正しい。
たまりかねたわたしが――なぜなら、わたし以外の人間は彼らの騒ぎを感知することがないので、それを迷惑に感じるなら、自分で言うしかないのだ――裏庭に出て、眠れないので少し静かにして欲しい旨を伝えると、
「おお、こりゃ和(あい)ちゃん。あんたもこっちにきて飲みなさい。さあ、さあ、さあ」
言い忘れたが、わたしの姓は仰木、名は和。和と書いてあいと読むのはめずらしいようだ。長男なので、あい(うえお)という親父特有の笑えない冗談だったらしい。ちなみに弟はうえおではなく、洋(なみ)という。さらに下がいたら中華と書いて「のりか」とか「よしはる」とでも名付けたのだろうか。坊主にあるまじき食道楽のあの親父は。
「そうじゃ、そうじゃ。人数は多いほうがええ」
「ええ桜じゃぞう。月も見事じゃ。一口で二度おいしい」
「俺、未成年なんだけど」
躊躇するわたしに、彼らは笑う。
「構わん、構わん、わしらは洋ちゃんの時分にゃ、もう飲んっどたわい」
不良じじいめ。洋は、このときまだ三つだ。
「親父の晩酌の付き合いから始まっての」
「つかいで酒屋に行った帰りになめてみたりな」
「そう、それでな……」
翌朝。
墓地のはずれ、一夜にして満開になった桜の下。お彼岸の供え物のワンカップの空き瓶に囲まれ、空き瓶を握って泥酔する寝巻き姿のわたしが発見された。
当時高校生だったわたしはそれが原因で一週間の停学処分を受け、親父の拳骨を数発食らった。しかも本命大学の入試にも行きそこなった。
「すまんのう、わしらのせいで」
しょぼくれた様子で仏様のじいさまがたは謝ってくれたのだが。
「あれも、霊障っていうんだろうか」
その一件で、わたしは家を出る決心をした。このままここで暮らせば、いつか乱心者と呼ばれるような気がしたためだ。何せ、墓地のみなさんはわたし以外の人間には見えないので、彼らが必死で……もう、死んでいるが、懸命に……懸ける命もないが……わたしの名誉と人格を証言してくれたところで、何のタシにもならないからだ。
別れを惜しむ彼らに――こんなに惜しんでもらえるなら、狂人と呼ばれてもここにいたいと錯覚するほどの惜別だった――別れを告げ、わたしは当てもなく旅立った。
ところが、わたしの受難はここからが本番だった。
墓地のみなさまはわたしに非常に好意的であった。が、世の中はそれほど甘くない。それはあの世でも同じらしい。家を出たわたしは方々で散々な目にあった。それはまた機会があったらお話しよう。
ともかく疲れたわたしはそういった存在のいない空間を探して探してやっとここにたどり着いたのだ。
ご神域には、雑霊や物の怪は入れない。
考えてみれば当然で、神域は強大なご神霊の言ってみれば縄張り(シマ)である。有象無象の雑魚が迂闊に近寄ることなどできはしない。越境しようものなら、場合によっては存在そのものが消し飛ぶだろう。
事情を話し、住み込みで使ってくれと懇願したわたしを怪しむでもなく受け入れてくれた神主さんには感謝している。おかげでこの十五年、わたしは実にのんびりと平和に暮らせたのだ。
ああ、それなのに……その安息の聖地が、消えてしまった。
神様の消えた境内は初めこそ空っぽだった、が、しかし。
大気中に何らかの理由で真空状態ができると、そこに周囲の空気が流れ込んでくる。同様に、霊的真空地には周囲の物の怪がなだれ込んできた。ひしめき合うように彼らは蠢いている。
元境内を眼前に、入ることもできず立ち尽くしているのには、そういった理由もあった。
「すみません」
物思いにふけっていたところ突然声をかけられて、わたしは飛び上がった。2センチは足が宙に浮いたように思う。
ふり返ると、わたしの驚きぶりに驚いたらしい青年が立っていた。青年と言うよりは少年なのだろうか。微妙な年齢である。高校生くらいに見えるのだが、二月の半ば、この時間私服で出歩いているということは、大学生かもしれない。
わたしはすかさず、彼の足元、影を確認した。そう、あちらのみなさんには影がない。物理的肉体を持たないのだから当然である。
喜ばしいことに、彼には影が在った。この場合、相手は実体をもつ存在である。実体を持つ存在の中には、人ではない人に似た者も含まれるのだが、彼は人間だった。なぜなら、変化の類はわたしの目には影響を与えないからである。わたしの目はモノの本質を映し出す。だからといって、生きている人間の本質がわかるかというとそうではない。どうやら、生体は霊の器であり、同時に鎧や隔壁のような役目を果たしているらしい。
安堵とともに、わたしの胸に社会人としての自覚が芽生える。
「あ、なんでしょう」
取り繕うように愛想笑いを浮かべたわたしに、彼は冷めた眼差しで、最低限度の礼儀を守り、尋ねた。
「この近くにあるお稲荷さん、ご存知ありませんか」
冷めたというよりはむしろ冷たい視線だ。
「ああ、ええっと、ここにあったんですけど。何か御用ですか」
「……神社の人、ですか?」
「そうですが、あなたは?」
彼は数瞬、ためらった。
「紹介で、神主さんに会いに来たんですけど、どちらに行けば会えますか」
「よろしければ、ご案内します。すぐ近くですよ」
彼は胡散臭そうにわたしを眺め回した。これくらいの年齢は自らの感情を隠す術に長けていない。というより、隠さないことを誇りにしている。
なつかしいなあ、こんな時分がわたしにもあった、と胸の内で呟く。口に出せば、少年が怒り出すことくらい容易に想像がついた。
「神社、なくなっちゃったんですか」
「ええ、高速道路の建設で。立ち退きになりました」
ほら、と看板を指差すと、彼はそちらに数歩、移動した。そのとき。
「うっ」
あまりの出来事に、わたしは声をあげた。抑えようとしたときには、もう声は出ていたのだ。
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