鬼喰
- たまはみ -

第一話 邂逅

第三章 一

 食後、再びわたしたちは話し合った。今度は彩花さんも含めて四人である。
「じゃあ、整理させていただきます」
 彩花さんが記述したメモを読み上げる。
「まず、志野さんの周囲では、科学や常識では説明の難しいことが往々にして起こる。一例として、家鳴り、ひどいときには家屋全体が揺れる。また、突然窓ガラスが割れることもあった。このガラスは学校の図書室の窓のもので、割れる二週間前にこの図書室は改装されたばかり。窓ガラスもすべて強化ガラスに替えられていました。他には、かまいたち、物体が突然浮遊する、正体不明の叫び声や、影、などですね。それと、志野さんが近づくと失神してしまうような方もいらっしゃったようです」
「ガラスが割れたのは1枚ですか?」
 わたしが確認すると志野くんが首を降った。左右に。
「いや、その部屋のすべての窓だ。校庭に面した側、正門側。閲覧室と、古い蔵書の保管庫をしきる扉の窓も。その前の日、サッカー部のノーコンストライカーが蹴ったボールでは、割れなかった」
 なるほど。どうして学校の図書室のガラスが強化ガラスだったのか、これで察しがついた。おそらくノーコンストライカー氏はこれまでに数限りないガラスを犠牲にしてきたのだろう。しかしゴールの位置を変えずに図書室のガラスを換えた、というのは面白い。
「破片はどちらに?」
「すべて内側に」
 すべて内側に割れた、ということは、すべての窓ガラスに同時に外側から圧力が加わったか、内部の気圧が下がったかだ。しかし強化ガラスが割れるほどの気圧差というと通常では考えにくい。
「失神された方は……」
「人数なら三十七人。ただし、俺が知っているのは。他にもあったかもしれない。すれ違いざまに倒れた、視線が合った瞬間に倒れたというのが多い」
「予後は、いかがです」
 わたしの質問に、志野くんがはじめて視線をそらした。
 答えない志野くんに代わって、彩花さんがメモを読み上げる。
「三十七人中二十九人の方は意識を取り戻しました。内二十六人の方は以前と変わらずお暮らしです。未だ意識不明の方は六名です」
 29+6=35
 残る二名はとわたしが考えるより先に、視線をもどした志野くんが言った。
「二人は死んだ。一人は昏倒したのが階段だった。もう一人は昏睡したまま死んだ」
「昏睡したまま亡くなられたのは九十七歳のおばあさんで、昏睡後四日で亡くなられているので、老衰でしょう」
 神主さんが補足する。頷いてわたしはもう一つのひっかかりについて尋ねた。
「意識を取り戻した方の中で、通常の生活に戻っていない方がいらっしゃるようですが」
「お二人は、つい先日目を覚ましたばかりですので、あと一週間は入院して経過を診るそうです。もうお一方は」
 彩花さんはほんの一瞬、言いよどんだが、そのわりにはっきり言い切った。
「精神に異常をきたしていることがわかり、精神科に入院しています。回復のご様子は、今現在ありません」
 いっそ事務的な口調に、かえって清々した様子で志野くんが頷いた。
「このように常識では考えられないできごとが度々起こるので、志野さんのお母さんはあちこちに尋ねて廻り、お払いまでなさったそうです。しかし以後事態に改善の兆しはありません」
「お払いでは、解決しないでしょうね」
 神主さんがそう言った。
「和さんのお話しを聞く限り、志野くんは間違いなく鬼喰です。しかもその力はとても強い。おそらく正体不明の叫び声や影というのは志野くんに喰われる鬼のものでしょう。時折そういったものが聞こえる、見えるという人は少なくないですから。家鳴りや、窓ガラスの件も、喰われかけている鬼の断末魔でしょうね。しかし通常、鬼喰が喰らうことのできる鬼は、意識をもたない霊的エネルギーか、意識があっても強い意志を保てないものです」
 神主さんは空になった湯飲みを両手で持ったまま、話す。彩花さんがそれに気付き、新にお茶を点て直した。
「喰われまいと抗う鬼や生きている人間の精気を喰うというのは、もはや人間業ではありませんよ。君のようなケースは、鬼喰という稀な能力者のなかでも極めて異端です。 それは人の能力を超えている。むしろ食われている鬼たちに近い」
 人間ではないとまで言い切られた志野くんに動揺は見られなかった。
「わかっています。以前にも言われたことがありますから」
 あとで知ったのだか、精神に異常をきたしたひとり、というのがそれを志野くんに告げた霊能者だった。彼は志野くんを一目見るなり蒼白になって逃げ回り、志野くんを化け物と大声で罵り失神した。二日後に意識を取り戻したのだが、心は帰ってこなかったそうだ。それが十四人目である。噂が広まるにつれ、以後彼と会ってくれる霊能者はいなくなり、しかたなく彼の母親は縁を伝って、畑違いともいえるこの神主のもとへとやってきたのだ。
 いや、畑違いとはあながち言い切れない。
 なぜなら私もここにいるからだ。解決できるかどうかはまた別の話だが、彼はこうして頼ってきたものを無下に突き放したりはしない。
「どうしたら治りますか」
「無理ですね」
 じつにきっぱりと言い切った神主さんのことばに、志野くんが口を開いて何か言いかけ何も言わずに閉じた。
 それは十五年前の自分を思い出させる姿だった。
 あのとき、わたしがこの力を制御するか、いっそ封じたいと言うと神主さんはやはり無理だと言った。うすうす感づいていたものの、そうはっきりと聞かされたときのわたしの受けた衝撃とさらした動揺を思えば、志野くんの態度は賞賛に値する。彼は口に続いて、まぶたをゆっくりと閉じる。二秒程して再び開いた目には、出会ったときと同じ透明な無関心が漂っていた。
「制御できる力ではないことが多いんですよ。そういった能力は。よほどの努力が必要ですし、努力したからといって必ずとは言い切れない」
 全面的に賛同だ。制御できるなら、わたしは今ごろ坊主だった。ここで祝をしているのは、制御できなかったからである。
「でも、制御できないとなると、ちょっと困ったことになりますね」

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