鬼喰
- たまはみ -

第一話 邂逅

第三章 二

 ちょっと困ったことになる?
 窓ガラスを割り、超局地的地震を引き起こし、死者さえ生む彼の力は、もう充分に困ったものではないか。
「そんな些細なことでは終わらないでしょう」
 神主さんの口調が、いつになく深刻だった。しかし死者が出る、ということを些細なと言える彼の度量には驚かされた。志野くんもさすがに驚いた様子で、神主さんを見た。
「些細、ですか」
「ええ、瑣末事です。人に限らず、生き物はみないつか死にます」
 それよりも、と神主さんはわたしを降り返った。
「和さん、君は神社跡で何を見ましたか」
「雑霊が、志野くんに喰われるところを見ました」
 神主さんはゆっくりと頷いた。
「神社が正式に移転して、三日。かつてのご神域には、すでに雑霊が入り込んでいる。霊的真空状態は長くは続かない。そこにあったものがなくなれば、あらたな鬼がそこに居つくでしょう。志野くんがそれらを喰えば、さらに別の鬼が呼び込まれる。繰り返し、ね。それが問題なのです」
「限界が、くるってことですか?」
「大丈夫、肥満になったりはしませんよ。食べ過ぎてはちきれる、というような限界はこないでしょう」
 志野くんを見つめながら、神主さんはことばを続ける。
「限界、というなら、君が食べた後に、君が食べきれないような鬼がきた場合でしょうね」
「食べきれないって、どういうことですか」
「鬼には格があります。和さん、君はわかるでしょう」
「ええ、その、存在の大きさ、強さといったものですね?」
「そのとおり。鬼喰が食むのは、主に実体を持たない鬼、魂魄や霊と呼ばれるものです。霊の中には死霊、生霊、精霊があります。そのもっとも上位に存在するのがご神霊。神の御霊です。神と呼び表される強大な霊にも、いろいろありましてね。社に祭られている神、いまだ祭られていない神。鬼神、荒ぶる神」
 言わんとしていることが、おぼろげに見えてきた。
「もしかして」
「そう。死霊はまあ、良いでしょう。喰われた霊は昇華されて、いずれ志野くんが亡くなるときにともに、還ります。生霊は多少問題がありますが、……食べ過ぎれば相手が消耗し、目覚めなくなってしまいますからね、注意しないと。でも、問題の的を志野くん自身に絞った場合、どうということもありません。問題は、上位の精霊や、ご神霊を自覚なしに食んでしまったときです。当然、手ひどい返り討ちに会うか、良くて相討ち」
「その場合、志野さんはどうなってしまわれますの?」
「どちらにしろ志野くんは、ひどい傷を負うでしょう。魂に、かも知れないし、もっと直接的に肉体を損なうこともありえます。廃人になる可能性も否めません」
 神主さんはため息をついた。
「それよりもっと恐ろしいことがあります。志野くんが志野くんでなくなる……」
「俺が、俺でなくなる……?」
「君の体が、それに乗っ取られるということです。その場合はもちろん、良くて廃人、悪ければ狂人です。もし志野くんを壊したものが、この世に悪意を持つものであった場合、被害は志野くん一人に留まりません。器を得た悪鬼が何を成すか……」
 やっぱり。
 予想どおりの結論だ。仮説ではあるけれど。
 ということは。
「ということなので、和さん。どうせご実家に戻るつもりはまだないのでしょう。それなら、彼の力を制御する方法を見つけるまで、志野くんが拾い食いしなくてもよいようにエスコートしてあげてください」
 そう言うと思った。
 八割方諦めていたが、それでもとりあえず自分の意思を表明してみる。
「わたしが、ですか?」
「君は見ることができるし、相手に警告を発することもできますね」
「それは可能ですが、効果はお約束できませんよ」
 言外に責任は取れないことを告げると、神主さんは笑った。
「ははは。結構ですよ。万が一の場合は一蓮托生でしょうから、君が責任をとることなんて端からできませんしね」
「一連托生……」
「君子危うきに近寄らず、です。とりあえず回避すれば、無事でいられますよ。たぶん。それじゃ、夜も更けたことですし、今晩はお開きにしましょう。彩花さん、志野くんのお部屋は」
「ご用意できています」
「そうですか、それじゃご案内お願いします」
「はい」
 こちらです、と彩花さんに案内され、志野少年は大きなスポーツバッグを肩に引っさげて障子の向うに消えた。

「あの」
 言いかけたわたしににっこりと微笑んだ神主さんは言った。
「ご明察。お願いしたい一件というのは彼のことですよ。どう切り出したものか悩んでいたんですが、これは運命ですねえ。天意を感じます」
 わたしは感じない。感じたくない。
「お母さんの話では今ひとつ確証がつかめなかったのですが、あなたがそれを見てくれたおかげではっきりしました。それにしても出会って早々、確証が取れるとは、素晴らしい。天の采配は良くしたものです。これもひとえに日々の行いの賜物」
 そういって彼はかしわ手を小さく打った。
 運命? 天意? 天の采配!? 日々の行いの賜物がこれか!! わたしがいったい何をしたというのだ??
 冗談じゃない。
「まあまあ、そう、悲観的になってはいけませんよ」
「悲観的にもなりますよ。わたしはごく普通のひとと同じように暮らしたいだけなのに」
「普通ですよ、充分」
「普通ですか、これが」
「普通じゃないですか。断りきれない元上司の依頼、やりたくない仕事、関わりたくない存在との断ち切れない繋がり、家主への遠慮。何か特別ですか?」
「そういうことではなくて、ですね」
「そういうことですよ。持ちつ持たれつ。この世はそんなものです」
 三度にっこりと笑った神主さんは、こう付け足した。
「あの世も同じです」

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