鬼喰
- たまはみ -

第一話 邂逅

第四章 三

 志野がここに来て、二週間が過ぎた。
 神主さんはなんら解決策を探しているようには見えない。
「あ、そうだ。和さん、志野くん」
 四人での朝食もすっかり習慣になったその日、神主さんはのんびりと言った。あまりにものんびりとしていたので、彼が発したことばの意味を正しく理解するまでに、わたしは十五秒、志野は十五秒と半、間があった。
「今日はいいお天気ですね。遠出するにはもってこいです。町外れに立てかけたまま二十年近く放置されてる家があるんですけど、見に行きませんか。なんでも人に悪さを働くモノがいるそうですよ。実は昨日、行ってみたんですがね、あんまり怖くて、門の前で逃げ出してきました。こう、首の後ろがちりちりするような嫌な感じを受けましてねえ。あれは居ますね。かなり大きいですよ。地鎮祭もなにも全部端折っていきなり立て始めたそうですからねえ、まあ、いて当然でしょう。志野くんたちも小物ばかりじゃ試験データも揃わないでしょうから、ちょっと大物に会ってきてはいかがでしょう。食べられるようなら食べちゃって構いませんよ」
 煮えたかどうだか食べてみよ、ムシャムシャムシャ。
 わらべ歌が不意に脳裏に浮かんだ。
 喰えるかどうだか食べてみよ……。食べられなかったら食べられてしまう。にも、かかわらず。
 神主さんの白狐さまが警告を発するほどのモノがそこに居て、人に悪さをするから退治して来い、とそういうことを彼は言っているのだ。
「冗談じゃない」
「まっぴらごめんです」
 反応速度は志野のほうが速い。さすが若いだけある。
「そうですか、嫌なら、しかたありませんね」
 やけにあっさりと引き下がった彼の様子に、わたしはなにやら不吉な予感を覚えた。
「あ、これ、渡さなくちゃいけませんでした」
 ひらりと差し出された二枚の紙には、それぞれ志野とわたしの名前が書き込まれていた。
「……請求書」
 手にとった志野が標題を読み上げた。
「さっ、36万7,500円!?」
 わたしのほうには15万15円とあった。
「この2週間の滞在費ですよ。明細にあるとおり、一泊15,000円。志野くんには1日辺り10,000円のエスコート料が加算されています。一日25,000円の十四日。加えて消費税。和さんは退職後の滞在期間が通算で十七日。内、十四日にはエスコート料8,000円が支給されますので、差額として143,000円と消費税です」
 志野が支払うエスコート料とわたしが受け取るエスコート料の差額2,000円は、神主さんの口利き料か。
「暴利だ!」
 叫ぶ志野を神主さんはにこやかに制す。
「安いくらいですよ。宿泊費、施設利用料、食事は三食。すべて込みですからね」
 絶句する志野と、諦め顔のわたしに神主さんはにっこりと笑った。
「もしお支払いただけないということになると、大変残念ですが、お引き取りいただくことになりますねえ」
 凍りつくわたしたちの表情を交互に眺め、彼はお茶を啜った。
「あ、言い忘れていましたが、その家の家主さん。この件を処理してくれたらお礼として50万下さるそうですよ」
 367,500 + 150,150 = 517,650
 517,650 − 500,000 = 17,650
 わたしたちの脳裏を瞬時に計算式が通過する。
 当然だが、未成年である志野にわたしのエスコート料を負担させる気はない。
「加えて日当として一人10 ,000円、わたしからお支払しますが、いかがですか」
 笑顔の神主さんを、睨みつける志野の歯が、ギシリと鳴った。
 その瞬間、わたしはわたしの運命を悟ったのだ。
「一人20,000円だ! それ以下では引き受けない!」
 かっとしやすい初心な少年は、姑息な大人の策に見事に引っかかった。たった2万円ぽちで、命を売るなよ、と思いつつも。わたしは相棒を見捨ててひとりでにげられるほど、逞しい精神をしていない。それは神主さんもよくご存知だ。予想どおりの展開に、もはやため息も出ず、わたしは味噌汁を一口飲んだ。
「いいでしょう。今回は初仕事ということで、特別にご祝儀もお付けしますよ」
 初仕事!? ということは、今回だけではない!?
 口の中の味噌汁のせいで、そのことばは声として発することができなかった。味噌汁とともに胃に落ち込んでゆく。
 わたしの顔に走った動揺に気付かない志野と、気付かない振りをした神主さんが契約を成立させてしまった。
 満足そうに頷いて神主さんは、請求書を引っ込める。
「これは仕事が終わるまで、お預かりしておきましょう。気休めでしょうが、これをさしあげます」
 請求書に代わって出されたのは二枚のお札である。この場合お札は「おさつ」ではなく「おふだ」と読む。
 どうやら日当および仕事料は完全に成功報酬式のようだ。
 なんとも言い得ぬ表情でそれを受け取ったわたしたちは、彩花さんに見送られ、暗澹たる思いを抱え思い足を現場に運んだのであった。

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