鬼喰
- たまはみ -
第一話 邂逅
第五章 二
おかしい、と思ったのは歩き始めてすぐのことだった。
裏庭は見えているのに、一向に近づけないのだ。建物の奥行きは建蔽率から考えて17mあるかなしかだ。
それは約20歩で裏庭に辿りつくことを意味する。しかしわたしたちは1分近く歩きつづけている。剥き出しの柱を何本通り越しただろう。
ふと思いついて、柱に目印をつけることにした。
懐から神主さんがくれたお札を取り出すと、通り過ぎるついでにぺたりと貼り付けた。
これはみやげ物として神社で売っていた(買う人がいたのだから驚きだ)千枚札のようなもので、裏はシール状になっていた。
それから2分、直進しつづけて、わたしは途方にくれていた。
貼り付けた目印も見つからなければ、裏庭にも着かない。
旅人が狸に化かされ一晩中同じところを歩きつづけた、という昔話があるが、目印が見つけられないということは化かされているのではないということだ。それ以前に、わたしの目に変化の類は通用しないのだが。
ということは、これはどうしたことか。通常の空間認識能力はここでは役に立たないのか。
何気なしにふり返る。
仰天した。悲鳴さえ出なかった。
「ゆ、志野」
後ろ向きにそろそろと歩きながら、先を行く志野に声をかける。
「なん……」
振り返ったのだろう。そしてわたしと同じモノを見たのだ。絶句して立ち止まった彼に、わたしの背中が当たる。
互いにぶつかってよろめいたわたしたちに、それはシュウシュウと音を立てながら、滑るように接近し大口を開けた。口の中には二股に分かれた赤い舌が見えた。
そう、それは大蛇の姿をしていた。
大蛇は鎌首をもたげた。この動作の後にくるのは。
一瞬の静止の後、目の前の首……胴なのかもしれないが、そのウロコが下から上へとぞろりと波打った。
波打つ早さにあわせて、鱗を照らす光がするりと滑り落ちる。
まずい、まずい、まずい。
警鐘のように、その一言だけが頭の中に鳴り響く。
「志野」
小声で呼びかける。
そして、走れ、と言いかけたその瞬間だった。
やっぱり!!
それはカッと大口を開けて飛びかかってきた。
咄嗟に後に飛びのく。
足がもつれたのか、志野がバランスを崩した。
後に倒れ掛かる志野の袖を掴む。
そのまま、走り出そうとしたところへの第二撃。
視界の端に映る鮮やかな赤は、大蛇の口か。
思わず両腕で頭をかばったわたしは、蛇の頭が雷撃によって弾かれるのを見た。
わたしのすぐ横の柱に、わたしが貼ったお札が見えた。やはり同じ場所を歩かされていたのか。
わたしの目を欺くことができる相手となると、それはご神霊、すなわちランクAAAだ。
「なんだ、このどでかい蛇は!?」
ようやく言葉をとりもどした志野が叫ぶ。
「逃げろっ」
志野をせかして駆け出す。
しかし、どこへ!?
封じられた空間を逃げ回ったところで、走れなくなればオシマイだ。
前を走る志野の背中を見ながら考えるのだが、答えなど見つかるはずもない。
とりあえず庭と思しき景色の見える方向に走ってみるのだが、まるでミラーハウスにでも迷い込んだように、出口が見つからない。
「どうするんだ!?」
「どうもこうも」
息切れがする。
「なんだって?」
「外へ、……庭へ出るんだ」
基礎体力の違いが志野とわたしの距離を空ける。ああ、むごい。
それに気づいたのか、舌打ちをした志野がほんの気持ち速度を落とした。
「どっちだ?」
「わかると思うか! こっちが聞きたい!! 庭はどっちだ」
癇癪ではないのだが、思わず苛立ちが口をついて出てしまった。立ち止まって叫ぶわたしの声が、天井に吸い込まれてゆく。
「ばかやろう、止まるな」
十数歩の距離を駆け戻ってきた志野がわたしの肩を掴んで転がった。
直後、わたしが立っていた場所を蛇の牙が掠めるのを見た。
覚悟の上で転がった志野は二転して、素早く立ち上がる。
わたしは逆に、したたか地面にぶつかったが、文句を言う気にはならなかった。
ぶつける程度なんだ。食われるよりは随分マシだ。
さらに数度ゴロゴロと転がって、柱の影に逃げ込む。
蛇を頂点に二等辺三角形を描いて、わたしと志野は互いに柱の影から見交わした。
蛇は、と柱の陰から窺えば、姿がない。柱に背を持たせかけながら、息をつく。
どういうことだ、と、つぶやいたのだろう。志野の口元が動いた。
わからない。そう首を振る。
わかっているのは唯一つ。
逃げ場を探し出せなければ、死ぬ、ということだけだ。
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