鬼喰
- たまはみ -
第一話 邂逅
第六章 一
桜の痛切な叫びに頷くことはできなかった。なぜなら、決めるのは志野だからだ。
あれは大きい。仮にも守り神として在った存在を、簡単に喰うことなどできない。
「志野、あれはこの家の守り神だった。守るべきものと神としての位を、剥奪された。奪った人間に敵意を持っている。あれを」
喰えるか?
そう問うことは憚られた。
喰えるか、と問えば負けん気の強い彼は喰えると言うからだ。わかっていて問うのは決断しろと強要することと同じだ。
ことばを詰まらせたわたしを彼は鼻で笑った。
「喰う」
あの浄玻璃の視線を、母屋にとぐろを巻く蛇に見据えた彼は、敢然とそれに向かう。
「来い。俺が喰ってやる」
ささやくような小声。しかし蛇にはそれがわかったようだ。
威嚇音を発しながら蛇は志野を睨みつける。
長大な胴がぐぐっと膨らむ。渾身の力に耐え切れなかった柱が砕け飛ぶ。梁も作りかけの屋根も、全てが瓦解した。
鮮血の色の瞳。
(……返せ。返せ。返せ。吾のものを)
脳を揺さぶられるような衝撃をともなって、白蛇の声がわたしを襲った。
「う……」
思わず頭をおさえて蹲ったわたしに、ちらりと一度だけ視線をよこした志野は、しかし、すぐに蛇に視線を戻した。
「あんたのことを構ってる余裕はない。とりあえず自分のことは自分で何とかしろ」
志野は砕けた柱の中から手ごろな木切れを拾い正眼に構えた。なかなかさまになっている。
「ああ、できる範囲でね」
わたしの返事に、ふん、とひとつ鼻を鳴らし、彼は木切れを握る手に力を込めた。
「さあ、来いよ」
大蛇とわたしの間に毅然と立っている志野の膝が僅かに震えているのを、わたしは見ていた。
大蛇が思いもよらぬほどの素早さで、志野に襲い掛かる。
縮められていた蛇の体がばねのように伸びる。志野が飛び退る。ついさっきまで志野がいた空間を蛇の牙が掠めた。
「早いっ」
まるで投げられたボールが弾むように蛇の首が、志野を再び襲う。
もう一度後に飛んで、蛇に空を噛ませると、一歩踏み込んで蛇の横頬を木切れで叩いた。
もちろん叩くと同時に、後に逃げている。引き打ちとでも言うのか。
「おい、あれにかまれたら、怪我するのか」
蛇を牽制しながら志野がわたしに尋ねる。
「するかもしれない。しないかもしれない」
まだ痛む額をおさえながら、桜に寄りかかってわたしは立ち上がった。桜はわたしを包むように支えてくれる。
「答えになってない!!」
「こんな事態はわたしだって初めてだ。わかるもんか!」
「それならせめて気休めぐらいいえないのか」
気休め?
「それならお札でも貼ってみたらどうだ。その剣に」
「この棒っきれが剣!? 冗談言うな!」
「気休めでも言えと言っただろう」
「気休めにもならねえ!!」
言いながらも志野はとりあえずお札を木切れに張り付ける。それで少なくとも彼が握る部分のささくれが手に刺さる心配はしなくて済む。
ちっ
舌打ちをして、彼は襲い掛かってきた蛇の下あごを左下から胴を打つように右上へと剣で払いあげた。ゴルフのスイングに似ている。
剣の軌跡にそって雷撃が走る。
そうか、稲荷神は雷光、稲妻を使役する。
お札は気休めではなかったのだ。さすが白狐さま。ということは、役立たずはわたしだけ……?
下から顎を打ち上げられて、はからずも咽喉を曝すことになった蛇に今度は返す刀で右上から打ち下ろす。
ついで再び左から水平に蛇の頭部を薙ぎ払う。
左手を一旦離した志野はその勢いで右腕を大きく回し剣を上段に構えると同時に一歩踏み込んで蛇の脳天めがけて打ち下ろした。
しかし打ち下ろした剣は蛇の頭を砕くことはなかった。
志野の剣が蛇の頭に達する前に、蛇の尾が志野の胴を払ったからだ。
「痛っ……てぇ」
地面にころがされた志野が立ち上がるより早く、蛇の顎が彼を襲う。
わたしは考えるまもなくもっとも近くにあった木切れ――というにはすこし長かったのだが――を抱えて駆け寄った。
まさに志野を噛み砕こうと襲い掛かる蛇の頭をめがけて、わたしは夢中で棒を突き出した。
寺の鐘を打ち鳴らす動作に似ていたかもしれない。あまり格好良くないが、これがわたしの精一杯だ。
ほぼ真横から突き出されたそれに蛇は頤を突かれ、その巨大な頭を家の残骸に打ち付けた。わたしの突きにこれほどの威力があろうはずがない。
不思議に思いつつも志野のことが気にかかり、柱の残骸を投げ捨てる。そのときその残骸が、先刻お札を貼ったものだということに気がついた。
「志野!」
助け起こそうとするわたしの腕を志野は振り払う。
「下がってろ、バカ! 危ない!!」
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