鬼喰
- たまはみ -

閑話 細波にゆらめく

第一章 三

 ああ、これが生きた女性だったなら、わたしも無下にはしませんが。
 でも相手が死霊となると、そう丁寧に接してもいられない。相手の意図が、わたしの命を奪うことにある場合は特に。
(ねぇ、おにいさん、どこへ行くの?)
 無視、無視……。
 うふふふふふ。
 くすくすくす。
(わたしたちね、この下のキャンプ場に行くはずだったのよ)
(でも、落っこちちゃったのよね)
(そう、あんたがハンドルを切り損ねて、ね)
(やだぁ、もう、言わないでよ、それぇ)
(そうよ。しかたがなかったのよ)
(そうね。だって、呼ばれちゃったんですもの。ねー)
 うふふふふふ。
(そう、そう)
(ねえ、ねえ、おにいさんも一緒に来ない?)
(あら、よく見れば、けっこういい感じのひとじゃない)
(あ、ほんとだ。いくつー?)
(ね、うちらと一緒にいこうよ)
(そうしましょうよ。ねぇ)
 ……無視、無視
(それがいいわ。ねえ、ほら、次の左カーブは直進しちゃってさ)
(湖まで一直線!!)
 きゃはははははははは。
(大丈夫、手伝ってあげるから。ね?)
 耳元でささやかれるにいたって、わたしの理性は吹き飛んだ。

「冗談じゃない! お断りだ!!」
 ……もうだめだ、がまんの限界だ。
 そう思い急ブレーキを踏む。同時にドアを開け、転がるように車の外に逃げ出した。エンストした車はつんのめるようにして停車する。
 転がり出たわたしは、背中をアスファルトに打ち付けた。まだ止まりきっていない車から転げ落ちたのだから当たり前と言えば当たり前だ。
 しかし、痛い。
 もともとアクションはわたしの担当じゃない。
 言ってみればわたしはソナーで、センサーで、それ以上のものではないのだ。
 アクションは志野の担当だし、志野に出会う以前はこんなことに遭遇しないよう、極力、御神域からは出ないことを心がけていた。 なにせ、わたしは感知能力こそ人並み以上にあっても、対処する力に関しては皆無といって間違いないからだ。
 立ち上がり一目散に駆け出そうとして。
 踏みとどまった。
 なぜならもう半歩踏み出せば。
 体は転落、魂は昇天。
 暗がりでわかりにくいのだが、鬱蒼と茂る草の下に大地はないことを、谷底から吹き上げる風が教えてくれる。微かに水の匂いがする。
 この断崖から落っこちて無事でいられたらそれは人間じゃない。
 わたしは人間だから、間違いなく、死ぬ。
 前方の谷。後方の「鬼」……。

 ふりかえったわたしに、彼女たちは微笑んだ。生前そのままの姿は、それなりに可愛らしい。彩花さんより少し年下か。おそらくは学生さんだろう。
(うん、別にそれでもいいよね。そこから飛んでみる?)
(あー、それ、いいかも)
(決死のダイブってヤツ?)
(冗談になってないって)
 あははははっははは。
 しかし、心底楽しげに笑うその姿は、先刻見せられた死に際の姿より恐ろしい。
 じりじりと迫り来る「鬼」
 鬼ごっこって、こういう意味か……。つかまったらわたしも「鬼」になるのか。
 そうしたらやっぱり、志野はわたしを喰うだろうか。喰うだろうな、ためらいもなく。
 そんなことを考えつつ、それでもあきらめられず、どこかに突破口がないかと目をすばやく周囲に走らせる。頼りになりそうなものは何もない。
 すり足で少しだけ体の方向を変えたわたしは、足にぶつかったそれを見た。

 注連縄?
 よく見れば、古い祠の残骸が砂利に混じって落ちている。
 ご神体の宿っていたものなら、あるいはこの雑魚たちを退ける程度の力が残っているかもしれない。
 神様。
 助けてください。
 わたしはここから落っこちて、下の湖の藻屑になりたくはありません。
 すばやく身をかがめたわたしは、注連縄を掴みとる。
「やっ」
 古い注連縄を鞭のように振るって、死霊を祓う。わずかにひるんだ様子が見られた。
 注連縄は結界のひとつだ。「縄張り」ということばが示すように。
 両手でぱん、と縄を張り、近づくな、と意思表示。
 けがれを祓う祝詞を唱える。
(自分だけ助かろうなんて)
(ずるい!)
 ずるくて結構!!
 注連縄の作り出す結界に阻まれて、鬼は悔しそうに伸ばした手を引っ込める。
 モグリとはいえ、くさっても祝(はふり)歴十五年。簡単に死んでたまるか。
 祭られなくなって二十年は過ぎているだろう祠だが、神は一度宿ればそうそう離れたりはしない。
 かつてのご神体と思しき、小さな丸い石に祈りを捧げる。
 迎えに行かなきゃならない者がいるし、帰りを待つ人があるし、ここで死ぬわけには行かないんです。
 そして、失礼かとは思ったが、気合一発、ご神体を蹴り飛ばした。
 さすが、神様。
 ご神体の直撃を受けた「鬼」が二体、消しとぶ。
 しかし、残った二体をどうすれば良いのだろう。
 じとり、と脂汗が滲む。
 にじりよる鬼から4分の1歩下がったわたしは、足首を掴まれた。足元を見て愕然とする。
 崖下、漆黒の闇からは無数の手、手、手、手、手、手、手、手手手手手手手手手手手手手手手手手手手……
 !!

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